墨の芸術性を求めて
木村重信
木村重信
わが国の書や水墨画の衰退が言われてから既に久しいが、これはひとえに書家や水墨画家の怠慢による。かれらの多くは現代における世界の美術動向に意識して眼を閉じ、モダンアートと書ないし水墨画との引き離しをはかるが、そのような過程で、それらの伝統美も失われた。なぜなら、伝統とは故意に求めるものではなく、おのずからあらわれるものであり、現代意識のないところに伝統は存在しないからである。
こんなことを言うのは、ほかでもない。山路梓さんがきわめて現代的な書をつくり続けてきたからである。それは彼女がみずからの領域をせばめることをせず、即物的なモダンアートの動向に即しようと努めたが故である。もとより、彼女は書家であるから、あくまでも文字を場所として発想している。つまり、文字を主体の外に置いて対象化するのではなく、紙面は文字を動きの中に取りこみ、文字において自己を生き、その主体の動きが結果として紙の上に墨の跡を残すという、一元的な態度をとる。
このように山路さんは、多くの書家に濃くあらわれている唯心的態度から脱却することによって、モダンアートの造形の根本問題に挑戦した。多くの書が床の間の単なるアクセサリーに堕しつつある現在、彼女が墨の芸術性を求めて、即物的傾向のモダンアートの発展に寄与したことを喜びたい。
(美術評論家)