寄稿 
第15回個展「墨のかたち」に寄せて 1987年
  • 岩宮武二

    梓さんとの交わりは古い。
     
    梓さんの第二回個展(大阪・そごう)に、ボンさんこと早川さんと二人で、少しばかりお手伝いをして以来だから、さて、もう何年になるか・・・。
     
    当時、私のスタジオは阿波座にあり、梓さんはよく訪ねてきた。あのころの梓さんは、当然のことながら、若く、美しく、和服姿がいかにも似合うひとだった。―以後、今日まで、つかずはなれず、交友はつづいている。
     
    梓さんは、ときに優しく淑やかで、ときにハッとするほど情熟のひととなる。いいかえれば、菩薩と夜叉の両性を秘めるひとと譬えられようか。私は、その振幅する心と姿、その進退を垣間見てきた。
     
    このところ、梓さんとは疎遠がち。その後の書業は?と思っていたやさき、今回の個展〈墨のかたち〉である。優しく、勁い、両性がどう発揮されるか・・・。愉しみである。

    (写真家)

  •  

  • 早川 良雄

    ふた昔もまえ、銀座松屋での山路さんの書展で、グラフィカルな効果やディスプレイのお手伝いをしたことがあった。そのころの作品と近作とではずいぶんと変化しているように思う。その変化を「深まり」とか「豊饒」と云々するには、ぼくはあまりにも「書」について素人すぎる。
     
    それでもたしかに言えることがひとつある。それは、山路さんの眼が絶えず書の世界からはみだした造形の新しいフィールドに注がれていて、その視野が感度のいいアンテナを伴ない「書」という根っこを肥らせている‥‥ということである。
     
    山路さんのばあい、そのことはひとつの個的な形式をひたすら深めてゆくという道を採らず、複数の試行と実験をパラレルに進める姿勢になっているように思う。
     
    こんどの作品群も大別して三つの傾向が共存しているようで、ぼくには墨象的な造形作品にいちばん興味があった。その形象の妙味の奥ぶかいところから、山路さんが今度の大個展にかける静かな気迫が伝わってくる。

    (グラフィックデザイナー)

  • 元永定正

    山路さん宅のお庭にはたいへん立派なふじがあってふじの花が咲いた頃招待されたことがあった。見事に咲いたふじをさかなに酒など酌み交わしたが、着物姿の山路さんはふじの精が移ったように優雅であでやかだった。
     
    彼女を色にたとえると紫色の感じがするのは、ふじのせいなのだろうかと思ってしまう。
     
    山路さんは素直な心、純な心の待ち主である。だから好き嫌いははっきりしている。自分の好きな字だけをかいて幾十年、どんなグループにも身を寄せないで一匹女狼の道を歩いて米たが、時々彼女は自分の知らない自分の新しい世界を求めて行動する、読めそうなのに絶対読めない字を発表したりデザインとの結合を大胆にこころみたりして未知なものにも貪欲に意欲を示めす、そして今度の個展も何やら心に秘めたものがありそうだ。
     
    しかしどの様に変化あるものであっても、山路梓の書から受ける感じは五月の風のようにいつもすがすがしいものがつたわってくる。
    (画家)